【書評】人間通 (新潮選書)
本日は,人間通 (新潮選書)谷沢 永一 (著)をご紹介いたします。
著者は日本近代文学の研究者でありますが,本書は,近代文学とは関係なしに,著者が人生を通じて得た『人間は何か』『組織と人間の関係は何か』『国家と人間の関係は何か』等に関する教訓を記載したものとなっています。
なかなか一言でこの本を言い表すのは難しいですが,人間関係に悩んでいる方や,組織の中でどう立ち回るべきか等について悩んでいる方にはお勧めの本ではないかと思います。
私はこの本を座右の書にしようと思えるくらい,今後も読み込んでいこうと思える本です。
本書は小難しいことは書いておらず(やや文体は古い印象を受けますが),軽快な語り口で記載されており,非常に読みやすくスーッと頭に入ってくるように思います。
ちなみに,著者は,読書についても持論を述べています。
個人的に,非常に興味深い記述としては,「現代人が読んで血となり肉となる古典は非常に限られている」(105頁)という主張ですね。
これについては以前ご紹介した「読書について」で,ショウペンハウエルは,良書として古典を挙げています。
さて,この古典を読むべきか,読まないべきか見解が分かれてしまいました(お二人ともここまで単純化して主張を述べているわけではないですが,わかりやすさの観点から,この二項対立にしてみました。)。
こういうのも読書の面白いところですね。
せっかくなので,私自身も,この問題に対する私見を書いてみようと思います。
まず,古典を読むべき派の主たる論拠としては,古典はその時代を代表する天才によって書かれているものであり,外れが少ないという点かと思います。他方で,古典を読まない派(読むとしてもかなり限定される)の論拠は,古典が書かれた時代と現在では時代的な背景も異なるから現代人にどのようにその本が効くのかが不明であるというものです。
私は哲学書等について言えば古典を読むべき派に与したいと思います。
私は,哲学的な真理というのは,どの時代であっても,どこの場所であっても共通するものと思っております。実際我々が普段から使っている考え方にも自然と過去の偉人が発明した哲学的な考え方が入り込んできています。少なくともそれが真理であるか否かは分かりませんが,暫定的に正しいと信じられている哲学的な見解が前提となって現在の社会を構成していると思います(法律はまさしく,その暫定的な真理を具現化したものだと思います。)。
そのため,過去の哲学を学ぶことは,現代において当たり前に用いられている常識や法律等を自覚的に理解することに資するものだと思います。また,当該偉人が,どのような思考プロセスを経て,当該哲学にたどり着いたのかというプロセス部分に関しても思考力を養うという意味では学びがあると思います。
従いまして,私は,哲学書等について言えば古典を読むべきと考えています。
とはいえ,新書やベストセラーものを否定するというわけではありません。
古典は思考プロセスを学ぶ,考え方の土台部分を学ぶという一生ものの学習に役に立つものと思いますが,新書やベストセラーはある意味『情報』が記載されているものであり,即効性があるものと位置づけることができると思います。
そのため,両方とも好き嫌いせずに読んでいくというのが,学習者として大事な姿勢ではないでしょうか。
そんなわけで本日ご紹介した「人間通」は,他にも考えさせられる記述が多くあるので,ぜひご覧いただければと思います。
ではまた。
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